少し古い記事だけど、こんなのを読んだ。台湾のデジタル発展省大臣オードリー・タン氏がメディア出演の際自身のシーンの著作権を放棄している、という話。
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いつかテレビのニュースでタン氏がデジタル化・IT化社会について、「デジタルを使えない人々を置きざりにするのではなく、使える人が技術で使えない人々に寄り添っていく」とコメントしていた。それが強烈に印象に残って、以来私はちょっとしたファンをやっている。
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記事の概要は
- タン氏はメディア出演の際、自身の登場シーンについて著作権を放棄している。
- それはタン氏かつて知識を吸収する習慣を養ったのが著作権や財産権が放棄された環境(著作権が切れた書籍、オープンソース etc.)であるから。誰かから受けた恩を他の誰かに返している。
- 無償提供やシェアはタン氏のライフスタイルのようなもの
といったものだった。
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昨年爆発的に普及したChatGPTなどをはじめとする生成AIとそれを取り巻く動きを思い出す。旧TwitterやRedditなど投稿に学習データとしての価値を見出したサービスのAPI有償化とか、学習データに含まれる著作物の権利の保護とか。
技術革新と権利保護の問題はいつも難しい。技術革新のスピードに倫理観が追いつかないと社会が壊れてしまうし、規制を厳しくしてハードルを上げすぎても発展の妨げになるし。
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そんな漠然としたモヤモヤを抱えていたのだけど、今回この記事を読んでやっと霧が晴れたというか、何かが繋がったというか。
つまり“著作権や財産権が放棄された=オープンソースのような場所”こそ教養を深め、技術革新を産む理想の土壌ということをやっと理解できた。
新しく何かを始めるときや何か現状を変えたいとき、どんな環境を選ぶべきなのか、未来の自分へのヒントになったら良い。